キッチンではちょうど祖母が朝食の準備をしているのか、噌汁の焦げるいい香りが漂っていた。
そしてテーブルにはいつの間にか帰宅していた、未だ巫女服の透が姿勢よく座っている。
進に気づいた透は口に軽く手を当て、
「あれ、進君着替えちゃったの? 似合ってたのに」
と残念そうにしながらもからかう。
「あははは。そんなのは懐かしい遠い思い出にしてしまったさ。そう。あれは既に過去の話!」
「消えるわけじゃないのね」
「誰のせいだよ! 誰の!」
「だったら着なきゃよかったじゃない。私は進君が着たいって言ったから着付けを手伝ったのよ」
「どっかの誰かさんが黒い笑顔浮かべて杓振り回さなかったら着なかったよ! 僕のバイオリン壊す気か!」
見事にバイオリンケースが人質――物質になっていたらしい。
逃げる手もあったのだろうが、階段を駆け上がっていた進の足にそんな力は残っていなかった。
それを悟った透の魔の手が進を襲った。ポジティブ思考に方向性を向けると、写真などの記録に残されなかっただけましだった。
透の記憶にはばっちり残ったのだけれど。
「服の件は一旦置いとく。聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと?」
「うん。この村に――」
「はい、お待たせしました。朝ごはんですよ」
タイミング悪く祖母が現れた。
手にはサランラップに巻かれたおにぎりが四つ。どれも焦げた味噌が表面に塗られている。
皿にも盛らず、サランラップごと渡されたおにぎり。食卓で食べるのならもう少し綺麗な出し方もあるはず。わざわざサランラップを消費する必要もない。
「二人とも、今から村の見学に行ってらっしゃい。おばあちゃんも今から出かけるから、道中で朝ごはんは済ませてくださいね。ほら急いで急いで」
祖母は透と進の背中を押して、多少強引に玄関まで連れていく。
急いで、というからにはこの時間帯にしか見せられないものがあるのだろう。
進はとりあえず靴を履いて外に出る。
「うへえ、やっぱ暑い……」
夏のうっとうしい陽射しが容赦なく進を襲う。手で顔を扇ぐものの、熱風がそよぐだけで、気休めにすらならなかった。毎度毎度同じことをしても意味がないと分かっていても、やってしまう。
続いて透が玄関を出てくる。暑さで減退している進とは対照的に、透は暑さを微塵も感じさせない涼しい顔をしていた。
「……そんな格好してんのに暑くないの?」
進は透の決して涼しそうには見えない服に疑問を覚えた。通気性の良い素材を使っている可能性は否定出来ないが、上辺を見る限りでは中にまだ二枚ほど着ている。
「ちょっと暑いけど、もう慣れてるから」
「そんな巫女服っぽいのに慣るって、一体普段何着てるわけさ……。あー、視覚も暑くなってきた……」
「大丈夫? 陽射しにやられそうだったら、帽子被ったほうがいいわ」
「んー、帽子似合わないんだよなあ……。順応もすると思うし、このままでいいよ。で、どこ案内してくれんの?」
「んー。そんなにおもしろいところはないと思うけど、役立ちそうなところを紹介するね」
じゃあ行こうかと、透の先導で鷺ノ宮村小観光がスタートした。
「そういえばさ。あんま覚えてないけど、ここって何ヶ所か名所みたいなのあったよな?」
進は手で風を顔に送りながら聞いた。
だが、やはり効果がないのか、額には汗が滲んでいる。
「名所? この村に何ヶ所も有名な場所なんてないわ。でも、この光景は有名所の一つかもしれないね」
見渡す限り田んぼしかない小道を、進と透は他愛のない会話をしながら歩いている。
出会った三人の町人は皆田植えに勤しんでいた。しかし、町の中心に向かって歩いているにも関わらず、出会った町人の人数も少ない。
やはり何やらイベントの類が町で行われているようだ。言葉の真相は村の中心に行けば分かると判断した進は、別の質問を投げかけた。
「なあなあ、透も田植えとかすんの?」
「うーん。時と場合にもよるけど、ほとんどしないわ。うちはそんなに大きな田んぼを持っていないから」
「ふーん。全村民が自給自足ってわけじゃないのか。ああ、神社のお布施とかで食ってけるのか」
「……そんな罰当たりなことしてないわ。うちは私利私欲の為に神社を経営してるわけじゃないの」
「やあ、こんちはー」
「進君、私の話聞いてる?! 誰に挨拶――って……」
進の視線を追って振り向くと、透の知った顔の少女がそこにいた。
「…………!!」
透は化物を見たように声のない悲鳴を上げ、口をパクパクさせる。
少女は髪を片口で揃え、暑さを和らげるためかノースリーブの白いワンピースに、七分丈の青いジーンズ姿。また、大きな瞳、ジーンズに括りつけている大量の鍵と工具が特徴的。
「うふふっ」
少女は面白いネタを掴んだと言わんばかりの満面の笑顔を浮かべ、おもむろに携帯電話を取り出した。
「待って待って、落ち着こう。ね?」
携帯電話の用途にすぐ気がついた透は、ゆっくり少女との間合いを詰めていく。少女は透の爪に掛かる前に、カメラ機能を起動させた。カメラレンズの横で、白いフラッシュが太陽の光に負けじと光る。
「お願いだから落ち着いて。話を聞いてくれれば全て分かるから。まずはゆっくり携帯をしまおうよ」
「こんなレアな特ダネ――逃す私ではないことくらいご存知でしょ?」
少女二人の携帯を巡っての口論が続く。
「…………」
お互いさっとと携帯を取り上げるか、写真を撮るかすれば早いのだが、進はそれを言わなかった。
そのかわり進も携帯をズボンから取り出し、カメラを起動させる。
「はい、チーズ」
自動のピント合わせを完了させ、シャッターを切った。携帯のディスプレイには、少女二人が互いを威嚇仕合う姿が綺麗に撮影されていた。
「よし、ベストショット。いい思い出になるな」
進が納得の表情で写真を保存すると同時。四本の手、十本の指が進もろとも携帯電話を襲った。
「あら、お二人はいとこ同士でしたの。わたくし、てっきり今期最大のレアネタだと勘違いしてしまいましたわ」
「本当にあなたの勘違いはいつも迷惑だわ。柚桐眞麻(ゆぎりまあさ)は私にどんな恨みがあるのよ……」
透に湯浅眞麻と呼ばれた少女を加え、進たちは三人で田んぼ道を歩く。
「…………」
談話する少女二人より三歩遅れて歩く進は無言。
気持ち赤く腫れている頬を手で冷やしている。
進の前を歩く少女たちは談話を続けた。
「しかしながら、わたくしもまだまだ甘いですわね。よくよく考えてみたら、透さんに浮いた話があるはずないですもの」
「聞き捨てならないわね。眞麻だって同じじゃない。恋愛のれの字程度の噂すら聞いたことないわよ」
「あなたが知らないだけではなくて? わたくしレベルになると、殿方からの告白をどのように断るか考える日々を送っていますのよ」
眞麻はおほほほほ、と高笑いを上げて勝ち誇る。
その仲睦まじい少女たちの姿を進は生暖かい目で見つめ、
「で、二人はどんな関係なわけ?」
頬を冷やす手は下ろしていない。
腫れた頬の理由は言わずもがな。二人に携帯電話を取り上げられた際、ついでに暴行も加えられたのだ。
透が冷静になった後、土下座せん勢いで謝られたので後腐れはない。
進の質問に透が僅かに顔を曇らせて、
「彼女とはただの同級生よ。それ以上でも――それ以下ではあるかもしれないけれど。ああ、一応簡単に紹介もしておくわ。彼女の名前は柚桐眞麻。別名歩くストーカー記者。私と同じ鷺ノ宮中学の二年生で、新聞部に所属。ちなみに彼氏いない歴=年齢ね」
「彼氏いない歴=年齢なのは透さんも同じでしょう? 言い逃れは出来ませんわよ、幼稚園からずっと一緒なのですから」
眞麻に言われて、透は完全に陰を落とした。
どうやら二人は幼なじみらしい。
「どうりで仲良しなわけだ。あ、僕は宮森進。中三だから一歳年上だな。普通に話してくれて構わないから。変によそよそしくされるとさ、むず痒くなんだよ」
進は背中をかき回し、透を一瞥した。
眞麻は軽く首を縦に振って、
「では、わたくしもあなたのことを進君とお呼びしましょう。スキャンダルには重々ご注意下さいね」
うふふ、と笑って手を差し出した。
進も手を握り返し、
「スキャンダルっても僕じゃ反応薄いと思うよ」
「いえいえ、外部の人の情報こそ受けるんですのよ。どのくらいお泊りになるのかは存じ上げませんが、注意してくださいな」
「……それなりに頑張ってみるよ」
眞麻の冗談に取れない発言に進は肩を竦めて苦笑いした。
その苦笑いに満足した眞麻は、
「じゃあ、きびきび歩きましょうかお二方」
と、さりげなく透から先導の権利を奪った。
進にとってはどちらでも構わないのだが、眞麻のほうが厄介な気がした。
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