その日は生憎の曇り空で月明かりは一切差し込まない夜だった。
いや、生憎というよりもこの場合はうってつけというべきなのかもしれない。
天気予報を見る限りでは降水確率はさほど高くはないものの、空気に湿り気を感じる。もしかするとそのうちポツポツ降り始めるかもしれない。
天気予報を確認したにも関わらず折りたたみ傘を鞄に入れてこなかった自分を織部梨都は胸中で戒めた。
行き帰りは車に乗せてもらうため何ら問題はないが、目の前に建っているとっくの昔に機能停止し風化してボロボロになった廃病院。いくら規模の大きい病院だろうと穴ボコだらけの廃れた建物では雨風を凌ぐ事はまず不可能だろう。
これでは新しく買った水色のワンピースも、せっかく時間を掛けてセットしてきた髪もメイクも台無しになる。八月最終日夏の思い出にと大学の友達に誘われて参加したダブルデート的な肝試しだったが、開始する前からテンションがた落ちであった。
だがこの時、適当な理由をつけてここに残るか、もしくは一人で帰路についていればこんな後悔など――しなかっただろう。
「こっちだ急げ!」
髪をダークブラウンに染めた若者、新垣が叫びながら後列の三人を誘導する。
後続にいるのは織部、同じクラスで金髪ギャル風ファッションの町谷と、黒髪をワックスで固めツンツンに立てた一つ上の先輩である深森。四人は三者三様に荒げた声を上げている。
その悲鳴にも似つかない声は明らかに震えており、この状況下が彼女らに危機感を与えていることが簡単に想像できた。
肝試しを始めた最初の頃は四人で和気あいあいと面白がっていたが、一時間ほど経過した。三階まで上がりフロアを一周、何事も起きないことに残念がりながらそろそろ帰ろうかと誰かが言いだしたその時――アレが現れた。
懐中電灯で照らしても靄がかかったように姿が見えず、ただそこに何かがいるとしか分からない。気配のみが一行へゆっくり近づく。
期待はしていなかったが、予想だにしていなかった現象に一行は戸惑い恐怖に震え上がった。
織部はひび割れた壁から染み出た雨が床に作る水たまりで足を滑らさないよう進める足一歩一歩に神経を集中させる。
だが、気をつけて足を進める織部とて一度も滑ることなく走ることは出来ない。幾度となく彼女らは水溜りに足を取られ、転倒しないまでも走る速度を制限せざるを得なかった。
四人は三階の病室が並ぶ廊下を駆け抜ける。一刻も早く階段を見つけ、一階に降りなければならない。そうしなければ、自分たちは後ろから迫ってくるアレにやられる。そう本能が警鐘を鳴らしていた。
本当はつい先ほど階段を新垣が発見していたのだが、壁が崩れており通行は不可能だった。よじ登って乗り越える手も考えたのだが、瓦礫がさらに崩れる危険性は捨てきれず今に至る。
こちらが全速で走っているにも関わらず、後ろからピチャピチャと水溜りを踏み歩く音は離れる気配がない。距離を詰めるでもなく、間合いを空けることもなく常に一定の距離をつかず離れず。まるで獲物が疲れるのを待ってから狩るハンターのようだった。
しかし、暗がりに隠れ姿は見えずどんなものなのかは窺い知れない。人なのか、動物なのか、それとも――どちらでもないものか。
織部が恐怖を押し殺して後ろのアレを分析していると、前を走っていた新垣に突然腕を掴まれ十字路を左に折れた。
だが、織部たちの後を走っていた深森と町谷はそのまま十字路を真っ直ぐ走っていく。
この状況で散り散りになってしまってはまずいのではないかと一度歩幅を緩め、新垣の腕を引き訴える。
顔を振り向かせた新垣は明からさまに強ばった笑顔を浮かべ、
「逆に一箇所に固まって階段を探してもジリ貧になる。二手に分かれたほうが効率もいいし、片方が囮になればもう片方の探索も楽になるはずだ」
と、効率の良さそうに聞こえる作戦を答えた。
それではどちらが囮になってどちらが探索をするのか。
決まっている。直進方向へ進んだ目視のできる深森たちが囮で、視認できなくなったこちらが探索なのだ。
どこで別れた二人と話し合ったか定かではないが、新垣は全員の安全よりも自身の安全を最優先事項に据えたということ。
作戦内容を聞いた織部が苦虫を噛み潰したような顔をするも、新垣は気づく素振りを見せずに再び速度を上げた。
瓦礫を避け、身を隠しながら探索した数分後、ようやく二階へと降りる階段を見つけた。
「新垣さん、早く二人を呼びましょう」
織部が白いスマートフォンをポシェットから取り出し、町谷の電話番号を探そうと画面に指を這わせようとするが、
「ダメだ。まだこの階段の先が安全とは限らない。安全確認が取れ次第あの二人を呼ぼう」
と、織部の行動を静止させ階段を降りてゆく。
この男は確実にあの二人を見捨てるつもりだとはっきり見て取れたものの、この場で一人になることはさすがに危険だと判断し、新垣の後を追う。
だが、別れた二人を見捨てることをしない織部は階段を見つけた大まかな場所と目印となるであろう消化器やベンチなどいくつかのものを町谷にメールで知らせておいた。常に携帯を手でいじっている町家なら気づいてくれるという判断だ。
なるべく早くメールに気づいてくれることを祈り、スマートフォンをポシェットに戻し二階へと降りた。
階段脇に貼られていた地図を見る限りでは病室が大半を占めていた三階とは異なり、二階はナースステーションや倉庫、仮眠室など職員立ち入りの場所が見受けられた。
ある程度地図を把握し視線を戻すと、新垣の姿が消えていた。
「あらが――ふむっ」
思わず反射的に大きな声で名前を呼ぼうとしてしまうも、咄嗟に口を手で覆う。こんな静かな場所で声を響かせればアレにわざわざ居場所を教えるようなものだ。
いや、逆にこちらの居場所をバラせば注意が移りあの二人が階段を探しやすくなるかもしれない。とは言え、あの二人がすでにアレを巻いている可能性もある。自分の勝手な想像だということは重々承知しているが、一人でいる今は迂闊な行動に出るわけには行かなかった。
「どっちにしたって早くあの人と合流しなきゃ」
汗で頬に張り付いた髪を払い、ナースステーションが目の前にある広々としたフロアへ足を踏み入れた。
「え……」
刹那――体が沈んだ。
正確には地面に着いた右足が老朽化した床を踏み抜いた。
床を完全に踏み抜いた瞬間、左足で地面を前方へ蹴り、無理矢理右足を救出する。そのまま前のめりに倒れ込んだのは言うまでもないが、床に埋まったまま身動きが取れなくなるよりかはマシだろう。
「痛っ……」
立ち上がるなり、右足に鋭い痛みが走る。どうやら足を捻ったようだ。
しかし、ここで呆然と立っているわけにはいかない。とりあえず、どこか近くに身を隠さなければ。
「最悪……こんな時に」
痛さのせいか、心細いせいか、それとも恐怖に煽られているせいなのか、瞳に涙が浮かび始めた。
涙を手の甲で拭い、痛い右足を引きずりながらナースステーションへ向かう。ここでしばらく隠れて助けを待つことにした。
なるべく発見されにくい奥に設置されているデスクの下に潜り込もうとしゃがみ込む。その際、デスクの角に頭をぶつけ、デスク上の放置された書類やら文房具やらが落下してきて頭を直撃する。
足の痛みに慣れ始めた矢先、頭に鈍痛。思わず頭を抱えてうずくまった。
「ん? あれ?」
涙目になっているせいで視界がボヤけるが、足元に転がった書類に混じって茶色い本が落ちていたのを発見した。これが鈍痛の正体だろう。
再度涙を手の甲で拭い、日記帳を手に取る。埃にまみれて所々黒ずんでいるが、まだ読むことはできそうだった。一ページ目に目を通して、これは本ではなく日記帳であることが判明する。字体が丸文字で患者のことが書かれていることから女性看護師のものだろう。
前半は差し障りのない日記だったが、ある日にちを境に激変した。
『八月十三日。宿直。またあの気配だけのアレが現れ、患者さんが亡くなった。私が確認しただけでも今月に入って四人目だ』
『八月二十二日。宿直。患者さんだけでなく、職員も亡くなった。やはりアレの仕業なのだろうか』
『八月二十五日。宿直。皆どうしてアレの存在に気づかないのか……! 同僚に話しても信じてもらえない。このままだと私もアレの餌食になる。これでは「禁じられた物語」そのものではないか』
「『禁じられた物語』って……? アレと関係があるの……?」
急いで次のページを捲ろうと手を伸ばした瞬間、ポシェットのスマートフォンが振動した。跳ね上がりそうになった衝動を押さえ、スマートフォンと取り出す。
着信、町谷。
友人からの着信にホッと安心した織部は画面をスライドして耳にスマートフォンを押し当てる。
「町谷大丈夫? 今どこにいるの? 深森さんも一緒?」
返答はない。ザーッというラジオのチューニングが合っていないときのような音が薄らと聞こえるだけ。
「町谷?」
クラスメイトの名前を呼ぶも、やはり返答はない。代わりにザーというノイズが強くなるだけ。
いや、ノイズだけではない。よく耳を澄ませば、微かに声が聞こえる。
『糸を糸を紡ぎましょう。チクチクチクチク縫いましょう。私の私のお人形。大事な大事なお人形』
聞きなれた町家の声。どこか幼少期に戻ったような無邪気な声で歌っているように聞こえた。
「町谷! どうしたの町谷ってば!」
『手足をちぎりましょう。ぶさいくな手足はいりません。取ったら可愛い手足を付けましょう』
今度は町谷の声がハッキリ聞こえ、加えて男性のくぐもった悲鳴が鼓膜を震わした。
息が引き攣りついスマートフォンを耳元から落としそうになる。
この声は間違いなく深森の声だ。一時間前まで一緒にいたのだから間違いはない。くぐもった声は何かで口を塞がれているからだろう。
しかし、悲鳴は次から次へと止むことはない。
『曇った瞳もいりません。青いものへと変えましょう。耳ももっと尖ったものをつけましょう』
言葉通りの行為が行われていることを想像するだけで、吐き気が織部を襲った。
もう足が痛いとか甘い事を言っている場合じゃない。こんなところで休んでいないでアレが自分から意識を逸した段階で新垣のように仲間を見捨てて逃げるべきだったのだ。
いや、そもそも初めからこんなところに来るべきではなかった。どうして簡単に肝試しなど参加してしまったのか。今更後悔したところで時間は元に戻らない。
「とにかくここから逃げなきゃ。病院さえ出れば、何とかなるはず。後は地元の警察とかの助けを呼んで中を調べてもらえば――」
耳に当てていたスマートフォンを離し、デスクから這い出そうとした刹那――。
『ニゲラレナイヨ』
受話器の向こう側から今度は深森のどこかたどたどしい日本語で一言放たれる。
全身に怖気が走り、思わずスマートフォンを壁に投げつけた。壁にぶつかった衝撃で壊れたらしく、受話器の向こうからは何も音は聞こえなくなった。
今度こそデスクから這い出そうと震える足に力を込める。
すると、どこからか荒い息遣いと走ってこっちへ向かってくる足音が聞こえてきた。
アレが追いかけてきた可能性が頭を過るも、アレには息をする音はなく足音もゆっくりしたもの。つまり、これは新垣の足音。
織部は全身を貫く恐怖を払拭させるかのように新垣の名前を呼ぼうと、口を大きく開いた ――瞬間、
「織部逃げろ! アレは、アレは一体じゃない! アレは一体じゃなかった――うわ、来るな! やめろ離せ離せ離せ離せうわううわうわううあうわうううわうわあぁあああぁぁぁああぁああぁぁあぁあぁ」
どこかへずるずると引きずられて行く音と共に新垣の声も遠のいていった。
体の体温が一瞬にして冷え切っていくのが分かった。手足の先が氷漬けにされたように冷たい。震えが止まらない。
ふと、震えにより定まらなくなってきた視界に、読みかけだった日記帳が入り込む。
震える手を必死に伸ばして日記帳を拾い上げる。もしかしたら対処の方法が見つかるかもしれない。ほんの僅かな希望を抱き織部は最後のページを開く。
『八月三十一日』
奇しくも今日と全く同じ日付。
内容に目を通した織部の息が止まった。
『見ぃつけた。私の可愛いお人形』
織部の顔に絶望の笑顔が浮かんだ。
刹那、デスクの後ろから青白い手が伸びて織部を――。
季節感全くねぇな・・・。
勢いでやっちまったんだ、問題ねえ。
しかしながら、主人公以外の扱い酷くね? と自分に聞きながら書いてた自分がこれまた面白いw
そして明かそう。これは風呂で考えてたから若干風呂が恐かった! ぇ、小説自体はそんなに怖くなかったって?
HAHAHA。そんなこと言うなよー。
( ノ゚Д゚) よし!
そろそろ短編書いて、長編書いてやる気だせるといいな! (・∀・)キマシタワー
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