窓を雨が強く叩く。これじゃ傘を差しても濡れるだろう。というか、スコール並みに降ってるし。跳ね返りで濡れるどころの問題じゃないのは確定事項。
空気をまるで読まない自然現象。
あ、ビニール傘が空を飛んできた。
どうやら風も強く吹いているらしい。飛ばされた人ご愁傷様。
僕はそんな外の様子を眺めながら、人気のない高校の廊下を歩いていた。
人気がないのはすでに授業が終わっていて、この雨で屋外部活が活動自粛しているから。それに帰宅部の面々は雨なんぞに降られる前に、とっとと帰っている。
残っているのは屋内部活の生徒と絶賛仕事中の教師くらいなもの。
その中でなぜ僕がまだ校内に残っているかというと、理由は簡単。誰もがすぐに思いつく、もの凄く定番な理由。
早い話、持ち帰るべきはずの宿題という名のプリントを、机の中に忘れてきたのである。
定番の理由だろう。まあ、誇るべきことではないのだけれど。
そんなこんなで、学校と家の丁度中間地点でその事に気付いた僕はそのまますぐに帰路を引き返し、学校にもどったのだ。
という経路で僕は人気のない廊下を足早に進んでいる。
とっととプリントを取って、帰りたいんだよ僕は。決して人気のない学校が恐いわけではないから悪しからず!
教室に近づいた時、違和感に気付いた。
あれ、電気が点いてる。
いつもなら最後に教室を出る日直が消すはずなのだが、消し忘れたのかもしれない。
僕は何の不信感も持たず、教室の扉を左にスライドさせる。
「あれ?」
視界が開けた直後、一人の女子生徒が机の上に座って、窓を眺めている姿が目に映った。
僕の心臓の鼓動が少し早くなるのを感じる。
セミロングの黒髪を頑張ってお下げにし、学校指定のグレーのカーディガン、緑地に白いチェック柄が入ったスカートという服装。
後ろ姿しか見えないものの、毎日顔を合わせているからすぐに誰か判別がつく。
気になっている子ならば尚更だ。
まあ、毎日会話してる分、極度の緊張とかはないんだけどね。
「まだ残ってたのか夏里」
少し関西弁ちっくなイントネーションになってしまった。
僕が夏里と呼んだ少女、夏里舞香(なつさと まいか)は、突然掛けられた声に驚く様子もなく振り返る。
「あれ、戸塚君じゃん。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「毎日使ってる教室なんですけどー」
「それもそっか。じゃあ初めから……」
こほん、と咳払いをする夏里は、テレビやラジオでたまに見かける編集点を使うかの如く仕切り直す。
「おや、戸塚君じゃん。ここで会うなんてすごい偶然だね。これはもう星の巡り合わせとしか言いようがない!」
「仕切り直し切れてないよ! 言い回し変えただけじゃん!」
詩人みたくちょっとかっこよかったけどさ!
僕のツッコミに夏里はむぅ、と軽く唸り、首を傾げる。どうやら、自分では上手いこと言えたつもりだったらしい。
口を尖らせた表情も可愛かった。
「で、戸塚君、何か用があって来たんじゃないの?」
「おおっと、そうだったそうだった」
いかん、夏里に見とれてて完全に忘れてた。
僕はおもむろに夏里へと近づく。
さすがの夏里も体を委縮させた。誰もいない教室で急に男子が近づいてきたのだ、当然といえば当然か。
でも、仕方がない。だって彼女が腰かけてる机が僕の席なのだから。そこに用がある以上、近づくしか……ないじゃないか。
「えーっと、夏里。悪いんだけど、ちょっとそこどいてもらっていい? プリント取りたいんだ」
「あ、ごめんごめん。今退くわ」
夏里は机から降りるなり、どうぞどうぞ、と腰を低く手を前に差し出す。
手、握ってやろうかコンチクショー!
僕は机からプリントを漁りつつ、
「で、夏里は何してんの? 雨も結構降ってるし、確か部活もやってないよな?」
と、率直な質問を投げかける。
単純なことに聞こえても、気になっている子に対しては、色んな意味で勇気のいる質問であることもお忘れなく。
「牧ちゃんを待ってるのよ。帰りにケーキを食べに行く約束をしてるんだけど、あの子バドミントン部だからねー。私は待機中というわけ」
セーフ! 恐れていた答えではなかった!
ほっと一安心で、肩の力が抜ける。
もし死亡フラグが成立したのなら、直ぐ様埋葬されて墓標を立てられた方がマシだ。
あー恐かった……。
ちなみに、夏里の言う牧ちゃんは同じクラスの牧枝咲(まきえ さき)のことである。
「ねえ戸塚君。牧ちゃん来るまで私の暇つぶしに付き合ってよ」
「……い、いいけど?」
やば、心臓の鼓動が一気に速まった。
夏里は僕の承諾に笑顔で礼を言い、すぐに口を開く。
「戸塚君、好きな子とかいる?」
「ぶはっ! ごほ! ごは! がは……」
全く予想だにしていなかった質問に、僕は盛大に咳こんだ。
加えて、折角取り出した宿題プリントも勢い余って握りつぶした。
「だ、大丈夫?」
「ごほ、ごほ……。だ、大丈夫大丈夫。ちょっと唾が気管に入っただけだから」
僕は必死に呼吸を整える。
夏里は申し訳なさそうに、
「ごめんごめん変な質問だったね。さすがにもういるよねー、彼女くらい」
全く見当違いな謝罪を披露してくれた。
「いやいやいやいやいや、いないいないないいない。彼女なんて、いません!」
あなたが好きな子です! と心の中で叫ぶ。
ヘタレの僕には到底言えない言葉さ。泣けてくるね。
「おや、そうなの? じゃあ私と同じだね。私も彼氏いません!」
恥ずかしがることもなく、堂々と胸を張るって公表する夏里。
僕は今どんな顔をしているんだろう。
ポーカーフェイスを貫き通しているつもりでいるけど、この瞬間は顔を鏡で写したらとんでもない表情が浮かびそうだった。
でもでもでもでも! 可能性が増えた! 流れはこっちにある! もうちょっと深い質問をしてみようか。夏里が切り出した話題だ。ある程度の深さなら答えてくれるはず。
「じ、じゃあ夏里はどんなタイプ――お?」
突然窓の外に雷光が走り、轟音が鳴り響く。同時に教室の電気も消えた。
雷が落ちてから、音が鳴るタイムラグがほとんどなかったことを考えると、意外と近くに落ちたようだ。
「話の続きだけど――って、あれ? 夏里?」
窓に目を向けていた数秒の間で、夏里は僕の目の前から姿を消した。
イッツァ・マジック。
ガタン。
僕のすぐ前の机からから音がした。
「何してんすか、お嬢さん?」
しゃがみ込んで机を覗き込む。
まあ、言わずもがな。イッツァ・ジックで消えた夏里がそこにいた。
しかしながら、マジシャン顔負けの移動スピードだ。
再度、雷鳴が鳴り響く。
「うわあ!」
子リスのように小さく震える夏里。
うん、可愛い。
「ただの雷だよ。そんな怖がらなくても……」
「ダメなものはダメなのよ――うひゃあ!」
心なしか、今日は落雷の回数が多い気がする。
「雷が苦手なのは分かったから、取りあえず出てきなよ。机倒れそうで逆に危ないから」
「……そうする」
僕が差し出した手を夏里が握った瞬間、本日何度目かの落雷。
落雷と同時に僕の視界が九十度上に移動した。机にぶつけたのか、頭に鈍痛が走る。
だが、そんなことは些細なことだ。僕の心臓の鼓動がマッハスピードになって、痛みなど遥か彼方へ置き去りにしてやった。
現状が、よくあるラブコメ展開になっている。簡単に説明すると、夏里が僕に抱きついているー!
何、何、何ですか、雷さん? 空気読んじゃったりしてます? 自然現象のくせに?
さっきは空気読まないとか言ってごめんなさい!
でも、僕個人としてはこのままでいいんだけど、もしマズイ輩(主にこの学校の教育指導者で、若いカップルを目の敵にしている中年)が停電をチェックでもしに来たら多少面倒なことになるかもしれない。名残おしいけど、ここは落ち着いた行動をとろう。
耳を澄ませばいつの間にか雷の音してないし。今の今までバリバリ落ちてたくせに。
雨も止んだような気もする。
「ほら、夏里。雷止んだから。もう大丈夫だか――うぐぐがががが」
夏里の腕から女の子とは思えない力が発揮される、やばい、背骨折れる……。
「僕が……君を……守って……やるから。力……緩めて……下さい……」
息も絶え絶えに、ほぼ懇願するような形で命の危機を脱出しようとする僕。
そんな僕の切なる願いが聞き入れられたのか、夏里は僕の腰から手を解くと、すっと立ち上がった。僕も立ち上げる。
「ごめん、取り乱した」
顔をカーディガンの袖でごしごし擦りながら、若干の鼻声で謝る。
やば、ツボに入った。もう行くしかない。ヘタレな僕よ去らば。当たってくだけろ!
「夏里」
「ん? どしたの、戸塚君……?」
「話を戻すけど、僕の好きな子は――」
僕が過去最大の勇気を振り絞った刹那、本日最大級の落雷。
完全に僕の声はかき消された。
もし、声がかき消されて無くても、落雷の恐怖に震える夏里の耳には入らない。
空気読みまくりだろ、自然現象……。
僕も自分の机に力なく腰を下ろした。
すると、廊下からドタドタと早い足音が聞こえてる。
「舞香ー! 無事ー?」
この声は夏里お待ちかねの牧枝咲の声だ。
「色々と迷惑を……」
「いいって。誰にだって苦手な物はある。黙っとくから心配しないで」
「うん、ありがとう。また明日ね」
震える夏里はへっぴり腰になりつつも、鞄を持ってゆっくり廊下へと出て行った。
一人取り残された僕は半ば放心状態。
ただ宿題プリントを取りに来ただけなのに、たった数分で精根尽き果てた……。
「げ、また雨降ってきたし……」
しかも激振り。さっきのあれは、さらなる嵐の前の静けさだったというわけか。
ホント空気読んでない自然現象だな……。
なんかどっと疲れて叫びたい気分になってきた。いいや、誰もいないし叫ぶか。どうせ雨の音でもかき消されるだろうし。
「あー! 夏里舞香さん! 僕と付き合って下さーい!」
「ぇ、いいけど……?」
教室の入り口に夏里の姿。
え? あれ? お帰りになったのでは? あれ?
手には鞄しかお持ちではない。まさか傘を忘れて、取りに戻ってきたのか?
狙いすぎだろ、自然現象……。
「えっと……戸塚君」
「はい、何でしょう?!」
「今から私たちとケーキ食べに行かない?」
「……よろこんで!」
さっきとは逆に夏里から差し出された手を、僕は震える手で握り返した。
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